隠者の夕暮・シュタンツだより


隠者の夕暮・シュタンツだより (岩波文庫)

隠者の夕暮・シュタンツだより (岩波文庫)


教育学の基本。ペスタロッチなんですが。読んでなかった。
私、教育学部だったのに。どういうことかしら。(^_^;)


で、思い立って、本を購入。ところが。
岩波文庫で当たれば、ペスタロッチの著作が揃うだろうと思っていたんだけれど、
あったのは、『隠者の夕暮・シュタンツだより』のみ。


あれれ?ゲルトルートとか、白鳥の歌とか、エイジ殺し、・・・。
なんかも読みたいんだけれどなあ。見つからない。変だなあ。


とにかく、購入した本を開いて『隠者の夕暮』を読む。
うわ、何この読みにくい文章は。とか思いながら。
ラクラしながらなんとか読み進める。


本文のあとに注釈が沢山ついている。そのあと、解説が。
注釈と解説を読んで、やっと、理解。


つまり、ペスタロッチが大学を出て、
理想を求めて、農場経営とか、貧民学校で挫折して、
考えたことを雑誌に投稿した記事を寄せ集めたのが、『隠者の夕暮れ』。
処女作。誤植も多い。
途中、他の人に編集されたりして、本人の意図とは違っていたりする

なんか抽象的な言葉や、修飾語が多くて、読みにくい。
う〜ん、でも意気込みはなんとなく伝わってくるか。
このあと、シュタンツの孤児院を経営するわけで。


『シュタンツだより』に読み進む。『隠者の夕暮れ』よりは、読みやすい。
これはシュタンツ孤児院が閉鎖されたあと、知人へあてた手紙の文章。
愛ですね。孤児への分け隔てない愛。人間を人間として認めること。

三五 わたしは子供に口で説明してやることはめったになかった。わたしは道徳も宗教も彼らに教えはしなかった。しかし呼吸が一々聞けるほど彼らが静かにしているとき、わたしは尋ねた。「お前たちは騒いでいるときよりこうしているときの方が賢くもなり立派にもなりはしないか」彼らがわたしの頸に縋りついて、わたしをお父さんと呼んだとき、わたしは尋ねた。「子供たちよ、お前たちは自分のお父さんに虚言(うそ)を言ってもいいか。わたしに接吻しておいて、陰でわたしをいじめるようなことをしても正しいか」話がシュタンツの界隈では貧乏で困っているということに触れたので、孤児院におる彼らが喜びもすれば、また幸福だと感じもしたとき、わたしは言った。「人間の心に慈悲深い心をお与えくださる神さまはご立派ではないか」
・・・

それは良いことか悪いことか、自分で考えなさいと、子どもを諭す父親。

五二 ・・・だがわたしにはこの天使のような眼は人生の高尚な楽しみだった。のみならずわたしは皺の寄った顔には我慢できなかったので、彼ら自身のために皺の寄った額をこすりのばしてやった。すると彼らは微笑んで、互いに皺を寄せることを憚った。

子どもが額にしわを寄せているのが嫌で、しわを伸ばしてやる。愛だ。



朝起きて、夜眠るまで、子どもの世話と教育。
父であり、母であり、看護士であり、教師であり、友人。
時には感染症も流行る。これは大変。


そして、周りの大人の無理解。
孤児院に子どもを預け、子どもが小ぎれいになると、連れ戻しにくる親。
なぜペスタロッチがこの事業をやっているのか理解できず、あざける大人。
はあ〜、切ないぜ。ペスタロッチ。


上流社会の、形式にこだわった窮屈な教育ではなくて、
貧しい人々にこそ、格差を乗り越えるのに教育が必要なわけで、
孤児院の子供たちに、教育の種をまこうとしたわけだ。


で、ペスタロッチがこの生活で得た経験で、新しい教育方法が生まれ、
暗誦的、教条的な教育ではない、新教育が生まれてくるわけですな。